その産院の庭には、2本の大きなモミの木がある。 壁一面がガラス張りの正面玄関の前にあるモミの木の名は「パパツリー」。この産院の、いわば「お父さん」。 パパツリーは、毎日この産院にやってくるたくさんの妊婦さんたちを眺めて過ごしている。大きなお腹を抱えてやってくる彼女たちは、みな一様に穏やかで希望に溢れた表情をしている。
ところがある日、声をあげて泣きじゃくる幼い女の子の手を強く引っ張りながら、気持ちだけは足早に、でも大きなお腹を庇うようにそろりそろりとやってきたママがいた。 パパツリーの横を通り過ぎながら女の子が救いを求めるようにパパツリーを見上げた。
やあ、こんにちは、お嬢ちゃん。 ママはね、今日はちょっと疲れていて具合が悪いんだ。 でも大丈夫。先生に診てもらって、心配ないですよって太鼓判をもらえば、すぐに優しくて元気なママに戻るから。 君の家にはもうすぐ可愛い弟か妹がやってくる。 頑張れ、ちいさなお姉ちゃん!
パパツリーは少しだけ枝先を揺らして彼女の後ろ姿にウィンクしてみせた。
それからしばらくして、女の子はママと手を繋いで、大好きな歌を一緒に歌いながら帰って行った。
今度はすらりとした長身の若い娘さんが、真っ赤なスポーツカーを停めて降りてきた。 コツコツコツ・・・駐車場に高いヒールの音を響かせながら中に入ってゆく。
パリ・コレのモデルが勤まるくらい、なんて美しくて素敵なお嬢さんだ。 でもやっぱり、全身にあの幸せの光を纏っているのがよく見えるよ。 まだ本人は気付いていないみたいだけどね。
パパツリーは少しだけ枝先を揺らして彼女の後ろ姿にウィンクしてみせた。
それからしばらくして、息せき切って駆け込んできた若い夫とともに、パリ・コレ風のお嬢さんは帰って行った。 もうヒールの音は聞こえない。ゆっくりそぉっと一歩ずつ。手にした小さな真新しい手帳をふたりで嬉しそうに眺めながら。
建物をぐるりと回って、入院用の玄関があるほうに立っているのが「ママツリー」。もちろんこの産院の「お母さん」。 今日は夫と母親に付き添われて弾けそうに大きなお腹をした妊婦さんが、ママツリーの前を通って中に入って行った。
そうね、今夜は人生一番の頑張りどころになるわ。 でも、それは貴女の人生一番の晴れ舞台でもあるのよ。
ママツリーは少しだけ枝先を揺らしてエールを送りながら見送った。
目の前の窓のブラインドが上がって、小さな小さな赤ちゃんを抱いたママが表を眺めている。 ママツリーと目が合うと、ちょっと恥ずかしそうに笑って腕の中の幼子を優しく揺すりあげた。
まあ、赤ちゃんを見せに来てくれたのね。 なんて健やかで愛らしいベビーなんでしょう! きっととびきり幸せな人生が待っているわ。本当におめでとう!
ママツリーはまた、少しだけ枝先を揺らしてエールを送った。
季節が秋の終わりを告げる頃、パパツリーとママツリーは衣替えをする。 クリスマスが近い。モミの木がモミの木本来のクリスマスツリーとしての役目を果たすために、イルミネーション瞬く光の衣装を身に纏うのだ。 日が短くなって足早にやってくる宵闇の中で、2人はいっそうみんなの注目を集める。 外来を訪れた妊婦さんたちも、病棟で過ごす産婦さんたちも、表の寒さなど忘れてしまうような暖かで居心地の良い室内からガラス張りの大きな窓越しに、見事な2本のクリスマスツリーを堪能する。
でも、この庭がすっかり静まりかえる頃、常夜灯とナースステーションから漏れるわずかな明かりだけになった建物越しに、2人が話すひそひそ声を聞いているのは、空にポッカリ浮かんだお月さまだけ。
ねえ、パパツリー、そっちの様子はどう?
うん、この時間になると、こっちはホントに静かなもんさ。 そっちはどうだい、ママツリー?
ええ、今ようやく無事にお産が終わって、静かな夜になりそうよ。
パパツリーとママツリーは少し枝先を揺らしながら今夜も微笑みあう。 みんなが幸せな夢路につけますように・・・
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