時は1773年12月16日、イギリス植民地時代のアメリカ、マサチューセッツ州ボストン。
まあ、いったいどんな素敵なお茶会なのかしら。
英国風の洒落たティーセットに豪奢なドレスをまとった貴婦人たちの笑い声・・・?!
Boston Tea Partyは日本語で「ボストン茶会事件」と訳されるいささか物騒な歴史的事件のことだ。
植民地獲得をめぐる英仏の争いが繰り広げられていた時代、戦争が残した負債を補うためのさまざまな課税強化対策が制定され、あるいは激しい抵抗にあって廃止されとの攻防の後、イギリス本国が植民地アメリカに課したのが「茶法」による「茶税」。イギリス東インド会社に植民地への茶輸出の独占権を与えるというもの。
よくよく調べてみると、別にそれによって法外な高値のお茶を買わざるを得なくなったというわけでもなさそうで、要は独占という点や課税そのものに対する本国への抵抗のような感じなのだが、とにかくボストンの住民はこの制定に激しく抵抗した。
そして1773年の12月16日夜、先住民(インディアン)に扮した住人たちが、ボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲撃して、積み荷の茶342箱を海中に投棄、これが「ボストン茶会事件」。残念ながら洒落たティーセットも麗しき貴婦人方も出番なしの「Party」だ。
面白いのは、この「Party」の訳をめぐって、誤訳だのジョークだのと賛否諸説が飛び交っていること。現訳はクリスマスパーティーなどと同じような意味合いをとって「茶会」とされているが、本来は「集団」を意味するパーティー(ほら、ドラクエの仲間たちの集団をそう呼ぶような…)であって「茶党」と訳すほうが正しいのではないか、とか、いえいえ、あの騒動をわざとシニカルに「茶会」と呼んだのではないか、とか、なかなか興味深い論争だ。
不謹慎にも私には、顔にペイントを施して先住民の紛争をした男たちが「さぁ、パーティーの始まりだぜっ!」と親指をつき立てて船に乱入してゆくさまが眼に浮かんでしまうので、やはり「茶会」説に一票…
おそらく史上一優雅ではないこの「お茶会」事件は、実はその後の独立戦争に至る前哨戦でもあった。
お茶のために独立戦争? やっぱりちょっと優雅かも・・・
奇しくも233年後の今日の日本で、ボストンは一番熱い注目を集めている都市でもあるようです(^^)
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